産婆の歴史と役割

「産婆」の歴史は、日本でも「女性史」の一役を担う「キャリアーウーマン」の先駆的役割を果たした女性たちの生き方をたどることにもなります。
古く、江戸時にさかのぼると、各村々における「知恵者」という位置づけの「産婆」も多くいて、知識・経験共に豊かで人格者として認められていたことが確かめられます。
もちろん、「産婆」の主な役どころは、「赤ん坊を取り上げる」ことでした。
「お産」は、日常生活の中で、極、普通に自然に行なわれ、その「お産」という家族にとっての一大イベントは、家族の繁栄に直結し、イエ相続にも繋がる大切な出来事でした。
いわゆる「家族」としての存亡を予告する「通過儀礼」でもあったのです。
通過儀礼としての「お産」そして、「産婆」の位置づけは、家族問題の相談役をも兼ねた大役を担うこともしばしばあったようです。
家督相続、世継ぎなどその「イエ・家名存続」に直結していたという史実は、「産婆」が、世継ぎの命を支えているという本来の意味合いを考えると、
当然とはいいながら身の引き締まる思いがします。

また、その時代、人々は「生」と「死」とを常に身近に体験できる生活をしていました。
「産婆」と「僧侶」は、共に各家に於いて共存し、共に、日常的な役割を担っていた事が知られています。
すなわち、家族は、イエを守り、先祖の御霊の前で、仏前結婚を挙げ、そこで、赤ん坊が産声を上げ、産湯を使い、同じ部屋で年老いた人は息を引き取り、
家族に死に水を取ってもらい、親族が厳かに葬式を出したのである。
かつての「産婆」は、このように、常に、家族と共に日常生活の中でつながりのある必要な役割を担った、身近な存在だったのです。